旦那浮気

旦那に浮気のされた体験談

あのとき、相談員がいる探偵社があれば、私の人生は違っていたかもしれない。

私の嫁いだ先は、夫の兄妹みな仲がよく、毎週日曜には家族全員が実家の食卓を囲むという、幸せを絵に描いたような家族でした。

 

私は幼い頃、わけあって両親が別居していたこともあり、家族が揃って食卓につく家庭を夢見ていたのです。

 

長男の嫁として実家に尽くし、自営の夫の世話をする。それが私の務め。夫には何もさせまい。床の間飾りでいいとさえ思い、暮らし向きの何から何まで一切合切をやること自体が幸せでした。
結婚生活に陰りが見え始めたのは、結婚して明年。私に癌の疑いが起こり、癌ノイローゼに陥ったときでした。家事も子供の世話もろくに手伝うでもない夫。体調を崩し、死さえ考えるようになると、私はそんな夫に反感を抱くまでになりました。

 

買物を頼んで1万円の食費を渡しても、買ってくるのは自分の好物のワインや生ハムやメロンだけ。
「私のは物はなし。」
病に倒れた私への労りなどまったくない夫でした。お陰様で癌は誤診でバセドウ病と診断がおり、治療の結果、体調は回復しました。しかしこの件で次第に夫婦間に溝ができていったのです。

 

その後、アルツハイマー病を発症した義母の介護、中学に入った子供のPTA、会社での経理、そして夫の枇話に家事と一人何役もこなし、疲労困ぱいの日々が続きます。

 

しかしやがて義母がデイサービスに通うようになるとようやく私は解放され、自由な時間を持てるように。そこで私は、同じ悩みを共有する仲間に安らぎを覚えていたPTA活動に専念します。ところが、その私を夫が責めるようになるのです。しかも、「PTAって、ピーナッツ食べて、遊ぶって意味だろう」などと口走る有り様。夫は娘の学校行事に率先して協力を惜しまなかった人。こんなことを言う人ではなかった。

浮気で旦那は変わってしまった

夫が仕事で1週間家を空けるというある朝、夫が何気なく「これだけ俺が帰らなくても寂しくないんだ一とつぶやいたことがありました。夫の経営する電気工事会社は当時業績を伸ばして夫も多忙を極め、朝帰りや出張で長期に家を空けることも増えていきました。この頃からです。

 

現場で事故を起こしたという理由から、会社や家のお金を持ち出すようになり、加えて外泊も当たり前になっていきました。
そんな折、中学3年の娘が、「パパの携帯に女の人の裸の写真が入ってる」というではありませんか。

 

私はとっさに、「パパに限って、私たちを一異切るようなことをするわけがないじゃない」と娘を叱り飛ばしました。でも叱ったものの、これまで封じ込めてきた夫への疑惑が頭をもたげてくることをどうすることもできませんでした。

 

夫がおかしい。浮気をしているのでは……。薄々感じたのは、私の趣味とは明らかに違う柄の下着がカバンに入っていることが度重なったときでした。笑ったのが、キャラクター柄。問い正すと、「コンビニで買った」と夫。間違っても下着をコンビニで買うような人ではないのです。

 

娘のひと言がきっかけで私は夫の部屋を家捜しして回りました。すると、うちの会社の求人募集に応募してきて断ったことのある一人の女の履歴書が出てきたのです。この子だ!一瞬にしてこれまですべての疑問が解けるのが分かりました。またご丁寧にも履歴書でしたから、相手の本籍や現住所を容易に知ることができたのです。

あれは忘れもしない、娘の尚校受験の前日

朝方に帰宅してまた出かけようとする夫の背中に、

 

「私、もう全部知ってるの」

 

とぶつけました。以来夫は帰宅せず、私は1週間

 

その決め手になったのは、会社の資金だけでなく音大に行く予定だった娘のために蓄えたお金を愛人に使ったことがどうしても許せなかったからです。それまで仲が良かった分、復縁する気持ちにはどうしてもなれずに離婚へと突き進んだ私。そのとき私の頭の中で渦まいたのは、ただ、裏切り者!のひと言でした。

 

友人にも誰にも相談できなかった私は、もし離婚になった時のことを考えて決定的な証拠を集めるべく探偵に相談しました。

 

探偵社の中には、調査の後までカウンセリングを行い、愛人と区切りをつけさせ、そこから夫婦としての再生まで相談にのってくれるところもあるというではありませんか。
私が依頼した探偵会社はハライチ探偵事務所です。

探偵に依頼した結果、決定的な証拠は入手した

探偵に頼んで決定的な証拠をつかんだ後は、ゆっくり考えました。
証拠がここにある限り、慰謝料と養育費は請求できるからです。

 

ちなみに、慰謝料は浮気を認めないともらえないので、今回のように浮気をしていると思ったら探偵をやとって証拠を集めてもらっておくと優位にすすみます。
ここでお金をケチっては元も子もありません。

 

また、夫は私を棄てたわけではありませんでした。その証拠に離婚後つきまとうようになって、やり直しを申し出てきたのです。そのとき私は深く考えもせず、「できません!」と言い放ってしまいました。もしそのとき夫婦の間をとりもってくれる仕組みがあったなら、私は違う人生を送れていたかもしれません。

 

肯定的な感情は事後、静かに立ち現れるものとか。時間をかけて冷静さをとり戻すと、やり直しがしたいという気持ちが戻ってくることを知りました。そのときの感情のままに流されて離婚を選んでしまったことを今では後悔しています。今でも夫は生涯たった一人のパートナーだったと思うのです。

 

私のようになってほしくないためにも、探偵などに相談して証拠集めや、愛人との別れ話のやりとりなどをすすめておくといいかもしれません。
参考:家出人の捜索願は警察に言っても無駄

 

私と旦那の子どもは不妊治療の末の子供だった

そういうと聞こえは悪いかもしれませんが、私と旦那はもともと子供ができませんでした。誰に原因があるかといえば私にありましたが、数百万円かけて五年間不妊治療をした結果、やっとのことで娘を授かることができました。あのときは本当に喜んでくれたものです。
それが、今はどういうことでしょうか。あの喜びから一転、娘には旦那の顔も見せたくありません。

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